午前
・卒論手伝い(野外調査)
午後
・授業準備
2日連続で砂丘へ。
NHK BSで偶然やっていた「原子の力を解放せよ」を観た。途中からだけど。
原爆投下、そして、敗戦によって、様々な被害を受けた京都大学の研究者に関する内容だった。
映画「太陽の子」の基となったそうだ。
この番組で、枕崎台風を初めて知った。
終戦から約1ヶ月後の9月17日に、京都大学の教員や学生は原爆の被害を調査するため広島に向かった。この時、昭和の三大台風と呼ばれる大型台風(枕崎台風)が日本に直撃していた。
しかし、原爆によって広島気象台が破壊されていたため、京都大学関係者は、その情報がつかめず、台風直撃による土砂崩れによって10名が亡くなったそうだ(のちに、さらに1名が亡くなる)。
太陽の子の特集で、広島に調査に行くことは知っていたが、このような事故があったことは知らなかった。
番組では、京都大学の原子核物理学研究室が話題の中心だったので、この事故で、その研究室の教員と学生が亡くなったことが紹介されていた。1名は婚約(結婚?)直後だったそうだ。
また、この研究室では、その後、原子核を研究するための加速器であるサイクロトンが軍事目的であるとされGHQに破壊され、さらに、実験ノートまでも没収されたそうだ。
このとき、医学部の学生(?)が、GHQに対して、この施設は軍事目的ではなく基礎科学のためのものであり、医学の進歩に不可欠である、という趣旨の手紙が送ったことが紹介され、強く心を打たれた。
結局、破壊されてしまったのだが、米国でもこの破壊について疑問の声があがり、後に、これらの施設は基礎科学のための施設であり、この破壊は間違いであったことが認められたとのこと。
純粋に学問を追求していた研究者、学生が、時代に振り回された悲劇を痛感する番組だった。初めから見直しておきたい。