2015年9月18日金曜日

オオグソクムシの謎

形態変異論文を進める。合間に草刈りとか、書類書きとか、沖縄サンプル処理とか、したのかな、、、。

沖縄調査のときに読んでいた、ダンゴムシの心の著者、森山先生の本。


オオグソクムシの謎

森山先生の本を読む際、森山先生の「こころ」の定義をしっかりと理解しておかないと、面白さが半減してしまう。

と言いつつ、私の理解も間違っているかも知れないが、、、。

ヒトを例にとる。私は今PCで文字を入力しているが、それと同時にお腹が空いたと頭で考え何かを食べたいと感じているが、何も食べずにPCの入力を続けている。このように、私たちは、ある行動をする際、それ以外の様々な行動をしないように抑制をしているのである、、、ここまでは納得できるだろう。

つまらないからどこかに行きたいなと思いながらヒトの話を聞いたり、感動で涙が溢れるのを堪えながら卒業を迎えたり、普段、気に止めていないが、少し考えればすぐに思いつくはずである。

これを森山先生風に表現すると、「私たちの内に潜む、確かな実体でありながらも不定な何ものか」であり、確かに、一般的に理解されている「心」のイメージと一致する。

つまり、森山先生は、「こころ」を無意識に発現が抑制されている行動(隠れた活動体)として定義している。

この定義が妥当かは議論する余地があるかも知れないが、森山先生の研究の大きな意義は、このように「こころ」を定義することで、「ここを」を科学的検証の対象としたことである。

つまり、”普通の状態”では、隠れている活動体を”未知の状態”に置くことで発現させるという手法を考え出したのである。

前著では、ダンゴムシに200回の転向をさせることで、交替性転向反応を続けても現状が打破されないという未知なる条件に晒し、その「こころ」を引き出すことに成功したのである。

さて、本著は、そのタイトルの通り、オオグソクムシを扱っている、、、じつは、半分はダンゴムシだったりもする。

本書を読み進めるにあたり、上記の定義をすっきりと理解できないヒトは、少し注意が必要かも知れない。オオグソクムシの研究は、未知なる状況の「こころ」の発見から、実際の環境、つまり、「こころ」が隠れる条件を見つける、という逆向きに研究が進んでいる。

森山先生とその学生は、オオグソクムシを何も構造物がない環境で飼育すると小さな穴を掘ることを確認した。しかし、これは化石の証拠(オオグソクムシが掘った穴の化石があるらしい)とは異なる。

そこで、塩ビ管で作ったオオグソクムシがちょうど入れる程度の筒を設置したところ、まさに化石で見られたような穴を掘ったのである。

海底でオオグソクムシはクジラの遺体などを食べていると考えられているのだが、恐らく、この動物は自然界では、このクジラの骨格などに住み着き、ときに砂に穴を掘って生活していると考えられる。つまり、塩ビ管を設置した環境が、本来のオオグソクムシの環境を模していたのである。

そして、何もない環境は、オオグソクムシにとっては未知なる環境であり、思わず小さな穴を掘ってしまった、つまり、「こころ」が現れたと考えることができるのである。

森山先生の本は、その研究の学術的発見だけでなく、その実験系を見るだけでも面白く、とても刺激的である。

また、本書は研究を始めるきっかけについても詳細に書かれており、様々な困難に立ち向かう研究者の姿勢が見て取れる。

「おわりに」には、さらっと、家族を持ちながら、あと少しで職(任期切れ)を失う寸前だったことが書かれている。

海に接していない県の代表格、長野県で深海生物の研究をしているというだけでも面白い人だなと思える。

本書の最大のカラー写真が森山先生本人という衝撃。

最新の研究成果、面白ネタも豊富。

ちびっこスターのダンゴムシ研究も色々と紹介されている。

ただ、オオグソクムシの専門書ではないので注意してください。私の名前も書いてくれました。是非、一読を!

良い言葉だなと思ったので紹介。

「世界に通用する・・研究を経て、研究とは違ったおもむきの夢や、地元の貢献を追求する。私は、彼らのように自由に広がっていく人たちを、グローバルな人材と呼んでいます」

「発破をかけられて、「なんだこいつ。威張りやがって」と感じる先生と、「気分爽快。どんどん働こう」と思える先生の違いはなんなのか。それは口だけの人か、自分も一緒に汗を流す人かの違いです。」

もくじ
1.心という存在
2.オオグソクムシの心と個性
3.オオグソクムシの心の機微
4.ダンゴムシの個性
5.ダンゴムシの心の機微
6.心は妖怪