2020年3月2日月曜日

生態学は環境問題を解決できるか?

午前
・標本整理

午後
・会議
・データ整理


生態学は環境問題を解決できるか? (共立スマートセレクション)

授業で少しは触れていていたが、上手く話すことができなかったことがスッキリした。本書のフレーズを4月からの授業で何度も話すだろう。

正直なところ、タイトルを見て、生態学的な観点から環境の現状を示した本を想像し、あまり興味が惹かれず購入しようか迷った。買って大正解。

著者の専門は、植物生態学、ビックデータ解析、だそうで、特に、コンピュータを駆使して、シミュレーションやAIによる生物分布調査などを行なっている。

しかし、本書の半分以上は、著者の研究の紹介よりも、環境倫理や著者の経験に基づいた環境問題に対峙する私たちのあるべき姿勢に関する話題に割かれている。

著者曰く、環境問題で大事なことは「答えがないことを知ることが答え」だ!

これだけではよく分からない。すなわち、環境問題においては、「絶対的な答えがある」という信念は捨て、その時に応じて、最も良い答えを導き出すことこそが重要なのだ。

「Yes or No」、「All or Nothing」、「白か黒か」ではなく、曖昧な姿勢が重要!でも、実は、これがとても難しい。

例えば、外来種は駆除すべきなのか?

在来の生態系に甚大な被害を及ぼす外来種は、やはり駆除すべきだろう。では、日本中に生息している外来種オカダンゴムシを何千億円も使って駆除する価値はあるだろうか?

また、農作物の多くは外来種である。これらは栽培してはいけないのか。「絶対的な答えはなく」その都度、様々なことを踏まえて答えを見つけるしかないのである。

環境倫理の考えの中で、「shallow ecology」、「deep ecology」という考えがあるそうだ。前者は、「人間にとって有用だから自然を守る」という考えで、後者は、「自然は存在そのものに価値があるため、全てを守る必要がある」という考え。

後者は素晴らしい考えだが、極論的には全ての文明を捨てて原始の生活を送る必要があり、実行は非現実的だろう。

前者は、いわゆる生態系サービスであり、自然の保護をする上で広く受け入られやすい。しかし、この考えでは、価値が低いとレッテルを貼られた自然は壊されてしまう(利用されていない価値を評価することもできるが)。本当にそれで良いのだろうか。そもそも、その価値評価が人によってずれることもある。

やはり、「どちらが良い」とは決めることができず、その都度、どちらの立場に立つか判断することが現実的だろう。

「その都度、、、」と書くと何か弱腰のように思えるが、「optimistic pessimist(楽観的悲観主義者)」という言葉を知ると、その重要性が理解できる。

「楽観的」で「悲観的」とは、まず、現在、生じている環境問題(温暖化とか、マイクロプラスチックとか、外来種とか)の悲惨さについては深刻に受け止める。この点では、悲観的にあるべきだ。

しかし、ここで、「も〜だめだ」と諦めるのではなく、「やれることをやろう」と前向きに楽観的になることが大事なのだ。納得だ!

「Yes or No」の立場で極論に突っ走ることもできるかも知れないが、現実的にできる選択肢の中から最も良いものを選ぶ姿勢こそが、「やれることをやろう」につながると思う。

「答えがない」ことに、「より良い答え(やれること)を見つける」ために知識を蓄える場所、大学はそいう所だと思い出した、、、!

また、「NIMBY」、「technological optimism」、「VHEMT」など初耳の言葉も多くあり、環境倫理を勉強する必要があると痛感した。

大学生には是非、一読して、テスト勉強ではない勉強をしなければ、そんなことを考えて欲しい。必読の一冊。

アメリカの大学に進学した理由など、自伝的記述も面白い。

もくじ
1.人と自然と環境問題
2.環境倫理と歴史
3.答えはひとつにきまらない
4.外来種のおはなし
5.前向きになんとかしよう
6.科学者とは・科学とは
7.全力で走らねば