2022年11月18日金曜日

三宅島の思い出②

午前
・資料作成
・生態学ゼミ

午後
・資料作成
・原稿書き

本日締切の資料をどうにか提出。次は、今月末締切の原稿(報告書)書き。

三宅島の思い出。

三宅島では2000年にも噴火をしている。このときは、継続的に噴火が続き、特に、有毒ガスの放出されたため全島避難となったそうだ。

島民の方の話だと、最初はすぐに帰るつもりだったそうだが、結果的に4年半の避難生活を強いられたとのこと。

都内の宿舎に住むことになったそうだが、島では鍵をかけたことがなかったので、オートロックで鍵を中に閉じこめてしまったとか、電車の乗り方が分からなかったとか、色々なネタを教えてもらいました。

1983年に比べると溶岩の量は少なかったそうだが、大量の火山灰が降り積り、それが山肌を削って流れた。

北東部でその影響を実感することができる。

一見すると何か分からないが、、、鳥居である。本来は普通の鳥居だったが、2000年の噴火による土石流で埋まってしまった。
また、当時は火山ガスの影響で樹木が枯れたそうだ。今でも、その痕跡を見ることができる。
したがって、三宅島の森林は全体的に若い印象。また、島の中央の山地は、草原生態系となっており、森林が成立していない。